目次はこちらから
- 1 はじめに(2020.4.22更新)
- 2 オンラインゲーム20年を振り返る
- 2.1 オンラインゲームの歴史のはじまり
- 2.2 2000年~2004年の日本はオンラインゲーム黎明期
- 2.3 2005年以降サービスの主流は定額課金から無料課金制に移行
- 2.4 2007年 市場規模の拡大が及ぼした功罪
- 2.5 2008年 対人特化型オンラインゲーム(FPS)が増える(流行る)
- 2.6 2009年 対人ゲーム&ブラウザゲーム最盛期
- 2.7 2010年&2011年 ガラケーとスマホで揺れるモバイルゲーム市場
- 2.8 2012年 あの”怪物”ゲームが市場を席巻&PCゲームタイトル開始数最多でオンラインゲーム市場は最盛期に
- 2.9 2013年 スマートフォンゲーム戦国時代に「SNSの申し子が吼える」
- 2.10 2014年 サービス開始数とサービス終了数がほど同一に
- 2.11 2015年 スマホゲームの成熟と巨大版権の兆し
- 2.12 2016年 ついにあの”モンスタータイトル”がモバイルに進出
- 2.13 2017年 PCゲームの新たな面白さを魅せた”バトルロワイヤルゲーム”
- 2.14 2018年 ゲームシステムの権利ってどこにある?同じようなゲームが溢れる
- 2.15 2019年 ゲームの新しいカタチとスマホ市場に再びモンスターが襲来
- 2.16 2020年 歴史的なパンデミックとゲームの力
はじめに(2020.4.22更新)
本記事は私の肌で感じた主観と外部サイトによるデータを交えながらその年で起こったオンラインゲーム史を綴っていくページになります。
2017年以前は自身の記憶とデータのみになります。
本記事ではPC,スマートフォン,コンシューマー機を含めた様々なオンラインゲームの歴史と共にあなたも
1人のオンラインゲーマーとして”ゲーム”の行く末について考えて見ましょう。
オンラインゲーム20年を振り返る
オンラインゲームの歴史のはじまり
オンラインゲームの歴史とは、すなわちインターネットの歴史と同意義でもあります。
インターネットの起源は1960年代まで遡りますが世界に初めて映像出力としてのオンラインゲームが誕生したのは1992年にNeverwinter Nightsというゲームです。
※映像を伴わないのであればCGIやPHPでのブラウザゲームは存在していました。
その後もDIABLO(1997年),ウルティマオンライン(1997年9月2日),EverQuest(1999年3月16日)などゲーマーの皆さんなら知らぬであろうビッグタイトルが2000年以前にリリースされています。
このタイトルのほとんどが記事執筆現在でも現役や、タイトルのナンバリングを変えて現存しているというのですから、驚きしかありませんよね。
それでは、2000年移行のオンラインゲームがどうなっていったかを覗いていきましょう。
2000年~2004年の日本はオンラインゲーム黎明期
(2017.9.28加筆)
この時点でオンラインゲームがはじまってから10年を経ているのですが私がゲームを始めたのがこの時期でした。
2004年は最盛期(黄金期の終わりくらい)だというご意見を頂きましたが、個人的にはまだまだ2004年は黎明期にあったと感じています。
最盛期を人口の面で考えれば上記にも記述しましたがこの2004年はオンラインゲームのサービス内容、ネット環境、PCスペックが加速的に変化していく年でした。
2000年から2004年にサービスを開始したゲームの一例を紹介します。
この時代はちょうどWindows2000及びMEからWindowsXPへの切り替えの時代でもあり、日本の一般家庭のインターネット回線にブロードバンドが普及しはじめた時代でもあります。
今では当たり前になった高速回線である光回線もこの時期にサービス開始をしましたがカバーエリア普及の問題もあり、ADSLが未だ主流の時代でした。
ISDNからADSLになったことによって安定した回線速度を得ることができ、オンラインゲームはより短時間に多くの通信が行えるようになり高品質になっていきます。
日本でも名だたる有名タイトルがサービスを開始したのもこの時期でファイナルファンタジーはコンシューマゲームIPとして早い段階でオンラインゲームとしてサービスを開始していました。
開始年 | ジャンル | タイトル |
---|---|---|
2001年10月 | アクション | ポトリス |
2002年2月 | RPG | リネージュ |
2002年5月 | RPG | ファイナルファンタジー XI |
2002年12月 | RPG | ラグナロクオンライン |
2003年12月 | RPG | メイプルストーリー |
ただ、当時はグラフィックボードなどは一般のPCには必要なく家庭ごく普通にあるPCがゲームの要求スペックを満たさないことも多く、まだまだコンシューマ機でのゲームプレイ人口のほうが圧倒的に多かった印象です。今ではオンラインゲームをするのであれば当たり前のようにグラフィックボード(ビデオカード)のことを考えますが、当時はオンボードグラフィックでのプレイヤーが大多数でした。
2005年以降サービスの主流は定額課金から無料課金制に移行
オンラインゲームのビジネスモデルは基本的に月額〇〇〇円と言った定額サービスが主流でした。
2005年移行のオンラインゲームタイトルはPCとインターネット回線の爆発的な普及と月額課金プレイから従量課金プレイに課金形態が移行したことにより誰でも無料で始めることができることで、ゲーマー人口とサービス開始数も増えていきました。
人気に拍車がかかったのが2Dゲームで、やはりまだ3Dゲームは上述した通り要求スペックがまだ高く2Dゲームのほうが人口は多かった気がします。
ちなみにこの年に生まれた代表的なゲームに「RED STONE」や「大航海時代ONLINE」、「マビノギ」等がありました。
このあと、CPUやグラフィックボード(GPU)の性能が指関数的に上がっていくことで高品質なゲームが続々と登場していきます。
2007年 市場規模の拡大が及ぼした功罪
オンラインゲームが順調に市場規模を拡大するにつれ問題が顕在化してきたのが”BOT“や”チートツール”
これは自動操作やゲーム内の変数を意図的に変更するなど、ゲーム運営の意図しない方法でゲームプレイをすることです。
なぜこのようなことをするのかは明白で、ゲーム内のアイテム、通貨を実際の法定通貨(円)に変えることができるようになったからです。
“できるようになった”という言い方は正確に言うと間違いで、「現実のお金を払ってまでも、ゲーム内アイテムや通貨を欲しがる人が増えた」結果、ゲーム内のアイテムという電子データに価値が生まれたからなのです。
これは、プレイヤーだけの問題ではなく、運営側の問題でもあります。
月額課金のビジネスモデルから従量課金の方が儲かる理由は皆さんご存知の通り”ガチャ”の存在が大きく影響していて、希少なアイテムや付加価値をつけることによってそれを手に入れるために課金させるのが主流となっていたオンラインゲームのシステムが原因であり、わざわざ確率に任せて手に入れられるかわからないアイテムのために課金する人よりも、少々値が張っても確実に現実の通貨で取引したい人が増えていったのです。※これがRMT(リアルマネートレードと呼ばれます。)
ほぼすべてのオンラインゲームではこのRMTは※1規約により禁止されていましたが、システムでトレードを排除できない以上歯止めが効かなかった結果、韓国や中国で、日本のゲームを自動操作等でプレイし、得たアイテム通貨を現金にする行為が横行していきました。
オンラインゲームの市場と同時にRMT市場も拡大をはじめ、多くの取引サイトが生まれました(ほとんどが国外サイトでした)
※1…現在はゲーム内マネーを公式に現実通貨と交換できるゲームも存在します。
BOTはゲームにどう影響を与えたか
BOTが存在することによって起こりえる不利益は以下になります。
- ゲーム内アイテムの価値が上がる(通貨を大量に生産するため)
- ゲームサーバーに余計な負荷がかかる
- 運営元に入る資金が間接的にRMTに流れる
- 円の国外流出(価値が高い円を売って自国通貨にする)
ターゲットにされるのは流動性と貨幣価値が高い人気のあるゲームの通貨で、通貨は基本的に戦闘をすることで誰でも手に入るので、自動操作で戦闘をするBOTが増えるとゲーム内の通貨の供給が過多になりゲーム内通貨の価値がどんどん下がっていきました。
その結果どうなるかというと、ゲーム内アイテムの価値が上昇し、ますますアイテムを現金で買うという負のスパイラルが作られていきます。
BOTやチートツールの存在はここからしばらくオンラインゲーマーと運営会社につきまとうことになります。
このころからオンラインRPGは少しずつ”時間をかけてレベルを上げ強くなる“から”お金をかけるとその分強くなる(Pay to Win)“にゲーム性がシフトしていきます。
2008年 対人特化型オンラインゲーム(FPS)が増える(流行る)
オンラインRPG人口の増加と、市場規模の拡大に成功した日本のオンラインゲーム業界はパソコンパーツのコストや性能の上昇に更に後押しされ拡大していきました。
日本で流行する数年前から海外ではBF(バトルフィールド)やCS(カウンターストライク)が盛り上がりを見せ始め、日本でもこの時期にサービスを開始したゲームタイトルにオンラインFPSゲームが増えていきました。
今までのMMORPGはレベルが全てでお金をかければ強くなれるのに対し、始めたばかりでも実力さえあればゲーム時間や課金額に関係なく対等にプレイヤー同士が対等に勝負できるとFPSは課金額に比例して強くなる環境が増え始めていたMMORPGにはない魅力で、RPGに疲れたオンラインゲーマーにも支持されました。
ゲーム内コミュニケーションにも変化が
FPSが与えた影響はゲーム性だけに及ばずこの頃からゲーム内でのコミュニケーションツールとしてVC(ボイスチャット)が
導入され始めました。今のVCと言えば皆さんはSkypeやLINE電話,Discord等を思い浮かべるかもしれませんね。
当時はSkypeとゲームソフトの同時起動はPCに大きな負荷がかかったので現在のP2P型のVCではなくサーバー型のVCが軽くて人気でした。
2009年 対人ゲーム&ブラウザゲーム最盛期
2008年にIntelが発表したCorei7は仮想コアを用いた技術(HT)でソフトの多重処理が格段に楽になりました。
(ゲームに関しては当時はまだシングルコアでの処理しか出来ないソフトがほとんどでしたが。)
またFPSゲームの勢いは衰えず(Pay to win)要素が少ないFPSは、判断力や瞬発力などの人間のフィジカルな面にも大きく勝敗を左右することもあり、スポーツのように自分を使う道具(PCパーツ)など周辺機器に拘るユーザーが現れはじめました。
PCスペックによるゲームの快適さがプレイヤーの戦績に大きく影響を及ぼすことになりますので3DのFPSゲームを快適にプレイしようと多くの方がグラフィックボード(ビデオカード)を搭載し、マウスやマウスパッドにも拘るユーザーをターゲットにしたPCパーツメーカーが専用ブランドを発表したりしました。
3Dゲームへの移行が本格的になっていた2009年ですが時代と逆行したように2Dゲームが流行りました。
「アメーバピグ」です。以前はCGIなどを用いていましたがFlash主体で動くようになったブラウザゲームは自由度が上がってもプラットフォームはウェブブラウザなので要求スペックが低く、クライアントソフトのダウンロードやインストールもいらないということで低年齢層や女性層に大きな支持を受けました。
当時ブラウザゲームの二大巨頭はソーシャルネットワーク事業を主体とするmixiとアメーバピグを運営する『サイバーエージェント』でした。
ブラウザゲームはここから成長を見せるのですがプラットフォームであるFlash自体の脆弱性とHTML5への移行問題である大ヒットゲームが出てくるまではしばらく停滞していくこととなります。
面白いことにこのmixiとサイバーエージェントはこのあと別の形で成長することになり、ブラウザゲーム事業は別の巨大会社が名を馳せることになります…
また、低年齢層のコミュニケーション主体のゲームであるがゆえのリアルな対人問題等(出会い系サイトのような使い方で起こるストカーカーや人間関係の問題)もありました。
そしてハードウェアの世界では、ガラケーがスマートフォンに姿を変え始めたのもこのころでした。
※ちなみにアメーバピグは約10年後の2019年12月2日22時に惜しまれながらもサービスを終了しました。
2010年&2011年 ガラケーとスマホで揺れるモバイルゲーム市場
この年はPCオンラインゲーム業界ではMOゲームが賑わいを見せます。
オープンワールドのような広大なMAP等はありませんが制御しやすくMMOよりも自由度が高いアクションゲームに最適ということでドラゴンネストやMHF(モンスターハンターフロンティア)などが人気になっていきました。
またモバゲーやグリーといった携帯ゲームのゲーム会社がガラケーアプリをプラットフォームとしてSNSゲームをリリースしてから数年、
携帯ゲーム人気の一時代を築きました。
後にモバゲーは社名をDeNAに変更。野球チームを持つまでに成長していきます。
探検ドリランドや怪盗ロワイヤルなどヒット作を生み出しますが、モバイルゲームの時代の流れは確実にスマートフォンへと移行していきました。
ちなみにAppleからiPhone4が発売されたのも2010年でした。
2012年 あの”怪物”ゲームが市場を席巻&PCゲームタイトル開始数最多でオンラインゲーム市場は最盛期に
この年スマートフォン市場が爆発的な成長を見せiphone4を筆頭にスマートフォン所持率が飛躍的に上昇した年になりました。
同時にオンラインゲームサービス開始数が一番多かった年でもあります。
実態はアプリによるゲームが大半ですのでPCオンラインゲームは新たなムーブメントは生まれず、似たり寄ったりなゲームがスマートフォン、PC共に溢れる市場となっていきます。
そんな中アプリゲーム業界ではガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社が販売したゲームアプリ”パズル&ドラゴンズ“がiPhoneとアンドロイドのアプリゲームのダウンロードランキング1位となり市場を席巻。
1ヶ月の売上が数億円になるなど爆発的な人気とその画期的な課金システムにならい、様々な会社がスマホゲーム市場に参入しアプリゲームは戦国時代へと突入する時代のきっかけになりました。
「パズドラ」の作り出した曜日や緊急クエストや課金ガチャのシステムなどは今やアプリゲームのロールモデルとなり、現在もパズドラ共々存在し続けています。
2013年 スマートフォンゲーム戦国時代に「SNSの申し子が吼える」
スマートフォン(高機能携帯電話)の登場は人々のコミュニケーションの在り方を変え今まで電話やメールでのやりとりがLINEになったり、友人への近況報告がFaceBookに、そして愚痴の掃き溜めがTwitterになるように人々の情報発信ツールも多様化していきます。
そんな中ひとつのSNSの灯火が消えかかっていました。
そう・・・その名もmixi
mixiは従来特定の隔離されたコミュニティにより同じ共通点を持つ仲間と深いコミュニケーションを行うことができるSNSでした。
しかし、入会は18歳以上で招待制だったことや、人々スマートフォンの普及による他のSNS台頭によりオープンで気軽な繋がりを求めてmixiを離れていきました。
(※のちに入会制限がなくなりmixiページもGoogleにindexされるようになりました。)
スマホ主体のSNSアプリにユーザーを奪われた苦しい状況の中でmixiを救ったのは皮肉にもスマホでした。
RPGとフリック型アクションを融合させたアクションRPGの『モンスターストライク』は5000万ダウンロードを超え赤字転落したmixiをV字回復させました。
その後もDLの勢いは衰えずAppStore&AndroidStoreでトップセールスにランクインし続けています。
2014年 サービス開始数とサービス終了数がほど同一に
iPhone4が発売されわずか2年で血で血を洗う戦国時代に突入したスマホゲーム市場はモンストとパズドラの2強が君臨し続けアプリは現れては消えていきました。
とうとう新規サービス開始ゲームとサービス終了ゲーム数がほぼ同一になり数撃てばあたるだろうの考えでゲームを送り出してはサービス終了を繰り返す運営会社にユーザーのゲームに対する信頼は下がっていく一方でした。
その中でも、スマートフォンゲームではSygamesが開発しモバゲーが運営する「グランブルーファンタジー」やコロプラが「白猫プロジェクト」を開始し、多くのユーザーを獲得して現在に至っています。
一方ブラウザゲームでも2013年に角川が制作しDMMが配信した”艦これ~艦隊これくしょん~”がヒットし、第2の艦これを狙え!と女の子と全く異なるジャンルを組み合わせたゲームがどんどん作られていきます。
2015年 スマホゲームの成熟と巨大版権の兆し
ほとんどの人がスマートフォンを手に取り、ゲームをするようになった2015年
サービス開始をしたゲームとサービス終了したゲームの比率はそのままに全体のゲーム数が減少していきます。
いわゆる寡占化です。
パズドラ&モンストはアプリダウンロードランキングに居座り続け、スマホゲームの成長はあまり見られなかった年になりました。
しかし、メガヒットを放ったタイトルが王者パズドラとモンストを襲いました。
Fate/Grand Orderです。
Fateシリーズのオリジナル作品で多くのファンに愛されているタイトルです。
歴史上の偉人と壮大な物語はユーザーを魅了し、RPGアプリのトップに躍り出ます。
このあと数年、パズドラ、モンスト、FGO(FateGrandOrder)はセールスランキング御三家と呼ばれるようになります。
一方そのころ、PCのMMORPGでは「黒い砂漠」というゲームが人気になり、その自由度の高さと高いグラフィックでPCゲームでは久しぶりのヒットとなりました。
ゲーマー御用達のコミュニケーションソフト「Discord」がリリースされる
ボイスチャットがコミュニケーションの主流になり、FPSに限らずRPG等でも当たり前に通話するようになりましたがこのディスコード以前はSkypeやTeamSpeakが主流のツールでした。
そこへ現れたDiscordは両ソフトの良いところを併せ持ち低遅延でクオリティの高い通話を無料で提供することでゲーマーを中心に爆発的な普及をもたらしました。
2016年 ついにあの”モンスタータイトル”がモバイルに進出
20年にわたる長い人気もさることながら全世界に圧倒的なファンを持つ「ポケットモンスター(以下ポケモン)」がAR(拡張現実)の機能を引っさげてスマホアプリ市場にやってきました。
影響は莫大で下記のギネス記録を樹立しました。
- モバイルゲームの中では最初の1カ月で最も売り上げを集めた。
- モバイルゲームの中では最初の1カ月で最もダウンロードされた。
- 世界のモバイルゲームダウンロードチャートの中では最初の1カ月で最も多く同時にトップを獲得。
- 世界のモバイルゲーム売上チャートの中では最初の1カ月で最も多く同時にトップを獲得。
- モバイルゲームの中では売上高1億ドルに最も早く到達した。
※wikipediaより引用
老若男女問わず現実世界とポケモンを融合することで、ゲーマーの外出が増えたり、ポケストップ機能を集客に利用できたりとARやGPSといったスマホの機能をフルに使用したこのゲームは外を歩けばプレイヤーがすぐに見つけられるほどに人気になりました。
と、同時に大きな社会問題となったのが「プレイをしながらの自動車運転事故」です。
ポケモンGOに搭載されているGPSでの距離測定機能は元々徒歩でのプレイを目的として作られていたので運転手がプレイしながら運転することによって引き起こされた事故が多く発生し、対策を講じることになりました。
2017年 PCゲームの新たな面白さを魅せた”バトルロワイヤルゲーム”
2017年は数年ぶりにPCゲームに大きなムーブメントが起こりました。
100人同時プレイバトルロワイヤルゲーム「PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS(以下PUBG)」全世界で5000万本、プレイヤーは4億人以上という未曽有の大ヒットを遂げました。
TPSバトルロワイヤルゲームは全く新しいジャンルのゲームで、高精細なグラフィックを採用したPUBGは一般的なPCではプレイできず久しぶりにゲームにPCスペックが追い付かないという状態になりました。(アーリアクセスということもありソフト側の処理も問題ではありましたが)
また、Dead by Daylight(デッドバイデイライト)も発売こそ2016年ですが2017年はSteamでの販売も好調で、翌年2018年ではPS4で日本版が配信されると認知度が一気に上昇し、人気ゲームとなりました。
多くのゲーマーがグラフィックボードの新調したのと同時に仮想通貨が大流行し、マイニングにグラフィックボードを使用するため大量の買い占めが起こりグラフィックボード市場は稀に見る高騰が起こりました。
このゲームの人気にあやかって同じようなゲームシステムをもつタイトルがスマホでリリースされますが、そのゲームが本家を超えた大ヒットすることでPUBGとの訴訟問題に発展していくこととなります。
日本でも対戦ゲームが身近な存在となり、「eスポーツ」は2017年に命名される。
今ではゲーマーに馴染み深い「eスポーツ」ですが、フロリダで開かれた2017 American Copy Editors Society conventionにて、AP通信が「esports」で統一することを発表しています。
それまでも格闘ゲームを中心に海外ではゲームカテゴリで盛り上がりを見せる分野でしたが、昨今のFPSブームを受けてゲーム全般をスポーツ競技として発展させていく声が多く寄せられました。いろいろな呼び方がありましたがこの頃からはeスポーツで統一されていくこととなります。
しかしながら、日本では法規制やライセンス等の様々な問題で大きなムーブメントを起こすには一筋縄ではいかない状況が続いていくことになります。
任天堂がコロプラと訴訟問題に
ライセンスといえば、ゲームの操作システムを巡って任天堂がコロプラに訴訟の提起を行ったのがこの年12月になります。界隈では有名な「ぷにコン」というキャラクター操作のインターフェースです。
本件に関わる分かりやすい記事はこちらのLegalSearch様がわかりやすく訴訟までの経緯を説明してくれています。
不思議なことに2018年は今では大人気ゲームに名を連ねるあのタイトルが法廷で争うことになっていきます。
2018年 ゲームシステムの権利ってどこにある?同じようなゲームが溢れる
2018年発売のオンラインゲームで最も優秀な作品と言えば間違いなくコレでしょう。
そうです。モンスターハンターワールドです。(以下MHW)
約10年振りにSonyに帰ってきたMHWはPC(Steam販売),PS4で累計1200万本を超える売り上げをたたき出した紛れもない“モンスター”タイトルです。
伝統的な4人協力プレイもさることながら歴代モンハンの細かい改善点と任天堂ハードにはできない高画質なグラフィックでPS4の売り上げにも大きく貢献しました。翌年2019年には続編となるIB(アイスボーン)がDLCとして登場しました。
さてPCゲームはどうだったかというと、前年に人気になったPUBGやDBD(デッドバイデイライト)がスマートフォン向けに改良されてリリースされています。
PUBGのバトルロワイヤル形式のシステムは荒野行動や、フォートナイトなどが類似のシステムで大きくユーザーを取り込んだ結果、会社同士の訴訟問題にまで発展する結果となりました。

類似システムで別の会社からゲームが出るなんてことは別に珍しいことでもないのですが2018年に関してはそれが顕著に現れた年でした。
2019年 ゲームの新しいカタチとスマホ市場に再びモンスターが襲来
2019年3月19日,Googleは,独自のクラウドゲームプラットフォームを作成。
それは「Stadia」(ステイディア)と呼ばれ2019年中に北米および欧州市場でサービス開始すると発表しました。
今や全世界で関わっていない人がいないほどの影響力をもつ大企業がついにゲーム業界へ参入をしました。
Googleが提供するStadiaの最大の特徴は『クラウドゲーミングサービス』であること。
クラウドゲームとは、コンピュータゲームをストリーミング配信するサービス。クラウドコンピューティングという用語が普及する以前はゲームオンデマンドと呼ばれていた。ゲーム以外のアプリケーションを同様な技術で稼働させる事をシンクライアントと呼ぶ。引用: wikipedia
このサービス自体は新しいものではなく、数年前から小さな規模ではありますがサービスが提供されていました。このクラウドゲーミングサービスによって、多くの利便性をユーザーが受けることが可能になります。
既にビデオカードを販売するNVIDIAやAMDも同サービスに参入しており、MicrosoftとSONYはAzureでの配信ストリーミングサービスで手を組むことが発表され、クラウドゲーミングサービスを舞台に企業通しの戦いがすでに始まっています。
そして、2019年9月に新たなモンスタータイトルがスマホゲーム市場に現れました。
そうです、ドラゴンクエストウォーク(以下DQW)です。
ゲームの基盤となるのはGPSを利用したいわゆるポケモンGO型の位置情報ゲームで現実世界の出歩く先々でモンスターと戦闘を行い、ダンジョンを制覇するというRPGには鉄板の仕様となっています。世界に幅広いファンを持つポケモンGOとは対象的に、ドラゴンクエストは国内で圧倒的な人気を誇ります。
元々RPGゲームであったドラクエとの相性は言うことが無く抜群でセルラン(セールスランキング)トップに躍り出ます。個人的には、ポケモンGOほどのインパクトはなかったものの課金要素が強くリリースから一ヵ月後の売り上げは93億円とのことです。(ちなみにポケモンGOは128憶円相当)
日本のアプリゲーム市場はアプリが溢れかえり、近年システムのイノベーションが起こらないのでユーザーは闇雲に新規ゲームをダウンロードすることはしなくなり、知名度の高さが初動ダウンロード数に直結する時代へと進んでいきます。
2020年 歴史的なパンデミックとゲームの力
2019年12月に中国の武漢市で発生したと思われる”新型コロナウイルス”の猛威は世界中の人々を恐怖に陥れ、人と人との交流を完全に遮断することとなりました。世界中の人々が外出せず”自宅で休日を過ごす”ことになってゲームは子供たちだけでなく大人の心の拠り所になりました。
NintendoSwitchが品切れ
自宅で自粛を行う人々が余暇を楽しむためにNintendoSwitchを欲しがった結果品切れとなり、フリマアプリ等では定価40,000円ほどのNintendoSwitchが60,000円前後での転売も確認された。人気ソフト「あつまれどうぶつの森」が2019年から2020年に延期された影響もあり、中国では同ソフトを使用した政権批判もあり流通が停止する事態にも及んだ。
>【悲報】あつまれどうぶつの森 ゲーム中で習近平の葬式ごっこや中国政府の批判をした為中国で販売停止になる [703385583]https://t.co/DwUFz2pRnM pic.twitter.com/Gx2UEbqRKV
— 菜 (@torta_fi) 2020年4月10日
※出典
Impress Watch 「年表で振り返るブロードバンドの歴史」
生存のための存在証明 「ネットゲームの歴史(1992-2009)」
MMO総合研究所「正式サービス年表」
wikipedia「エレクトロニック・スポーツ」
2004年ってオンラインゲーム黄金期の末期じゃん。
できるなら1997年前後から、最低でも2000年から語らないと歴史にならないよ。
コメントありがとうございます!
私がオンラインゲームを始めてからの歴史となっておりますのでオンラインゲームのすべてを補完できず申し訳ないです。
しかしながら、黄金期を人口とタイトル数等で考えますと2004年は最盛の年というよりは大きな転換の年となっていた印象です。
オンラインゲームに必要なネットワーク環境もADSL主体のネット環境からFTTH(光回線)に変わりつつあったのも2004年でした(実際の普及は2005年あたりから)
それと同時に定額制サービスからアイテム課金型サービスへと移行するゲームが増大し、現在オンラインゲームが開始された数が最も多かった年は2012年だそうです(2000タイトル以上)
個人的な主観ではございますがここらへんがPCオンラインゲームの黄金期だと考えています。
とても勉強になりました。
当時2004年当時は、中学生で自分用のPCとかもまだ持っていなくて、ネットカフェとかでメイプルストーリーやったりTWやったりしていました。(すぐやめましたが…)
最近になってメイプルストーリーはスマホ版が出て、他のプレイヤーに「PC版ってどうなってるの?」と聞くと「過疎ってるよwww」なんて返事が返ってくる。(本当かどうかは確かめてません)
どんな流れがあって、ユーザーが移動したのだろう?と疑問に思っていたので、とても参考になる記事でした。ありがとうございました。
コメントありがとうございます!!
2000年-2005年の間にブロードバンド環境が整備されたことでネットゲームは多くのプレイヤーを獲得することが出来たと思います。
また、教育部分でもこの頃オンラインPCが学校に導入され始めたのも影響しているかもしれません。
スマートフォンの登場と既存のユーザーの高年齢化によって携帯端末に大移動したのは間違いないと思っています…